「新しい文章力の教室」を読んで、自分の文章力の未熟さを突きつけられた。
”今回、ブログ開始から5つ目の記事が投稿。
これまでブログを書いていて発見したことは、、
論理的でかつ視覚的に美しい文章が書くことができないということだ。
現代人は活字に触れなさすぎて
そもそも文章を読めないし、書けなくなっている。
某企業の調査によると、
24~27歳の男性が1日にスマホを触る時間は
3〜4時間程度であるそうだ。
これからの時代はインターネットを駆使して
自分の言葉を発信していく時代であるだろう。
どうせ伝えるなら正しい言葉を伝えていきたい。”
と言いながら、ここまで書いた文章で
多くの失敗をしています。
この記事では具体的な失敗ポイントを交えながら
「新しい文章力の教室」に記載されているルールを紹介していく。
〜文末編〜
伝聞や推定の表現に逃げない
伝聞とは「〜そうだ。〜らしい」のように、
人から聞いた情報を他人に話すこと。
推定とは、「〜だと思われる。〜ようだ」と
自分の推測を語ること。
日常の会話でもつい弱腰になってしまい、
腰が弱い表現を使ってしまいがちです。
断定的に「〜です。〜だ」とスパッと言い切る勇気を持ちましょう。
体言止めは読者に負担をかける
体言止めとは、文末を名詞で終了させることです。
冒頭の文章から抜粋すると
”今回、ブログ開始から5つ目の記事が投稿”
→投稿された(過去形)?
投稿される(現在形)?
投稿されるでしょう(未来系)?
体言止めは自制が省略されている部分を
読者が文末を補完してくれます。
体現止めは文章のリズムが整いますが
文末補完による読者の負担が増えるため、最小限にしましょう。
ただし例外として議事録では、スマート感を向上させるために
体言止めを過剰に用いることが多々あります。
→「〜検討予定」「〜報告済」「〜再考」
動詞の可能化、名詞化を多用する
動詞の名詞化「〜できる。〜れる」
名詞化「〜もの、〜こと」
この2点はどんな動詞の後ろにも
付け足すことができるので、文末が同じになり
稚拙な印象を与える。
冒頭の文章を抜粋すると
”これまでブログを書いていて発見したことは、、
論理的でかつ視覚的に美しい文章が書くことができないということだ。”
個人的には、文末の動詞に
「〜を行う」、「〜が必要だ」という言葉を使う癖があるので気をつけます。
名詞に呼応した動詞を用いる
名詞には必ず対応した動詞が存在する。
例えを3点挙げてみよう、
軽口を”言う”→”たたく”
女の子を家に呼ぶ→”連れ込む”
スト値を考える→”見極める”
個人的には、この呼応した動詞で
末端にこなれ感を出すことが
最も文章向上の鍵になると考察している。
なぜなら、
髪の毛(上半身の末端)でイケメンな雰囲気を作り出せるように
おしゃれは足元(下半身の末端)から始まるように
男の魅力は先端に宿ります
文章でも末端に魅力を付与することが必要です。
日常会話や文章に触れる際に
おしゃれな呼応動詞を吸収していこう。
〜文頭および文中編〜
丸かっこで補足は最小限にする
( )は便利で、言いたいことをさらっと補足してくれます。
先程の文章を拝借すると
”髪の毛(上半身の末端)でイケメンな雰囲気を作り出せるように
おしゃれは足元(下半身の末端)から始まるように”
文章設計を見直すと
→上半身の末端である髪の毛でイケメンな雰囲気を作り出せるように
下半身の末端の足元からおしゃれは始まる。
うーん、、
( )で補足した文章の方が分かりやすい気がしますね(笑)
トートロジーは子供っっぽい
トートロジーとは主語と述語が
同じ意味を持つ言葉になる技法である。
冒頭の文章だと
”これからの時代はインターネットを駆使して
自分の言葉を発信していく時代であるだろう。”
文章能力がある人が見ると一種の稚拙さを感じるが
意外と気が付かないので注意が必要です。
文頭の初めに読点を打つ
「また、」「さらに、」「しかし、」と接続語の後ろに
読点を打ってしまうのを僕の悪癖でした。
というか、それが正しい読点の位置だと認識していました。
しかし、、私は、読点の、ルールを、勘違いしていました、
読点は書き手が自由な場所に打って良いのです。
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これまで数々のテクニックを挙げましたが
例を出すとキリがありません。
文章の型を知ることで
自分の文章の下手さを思い知りました。
社会人になると、誰かに文章を添削してもらうことがありません。
自らが自分の文章の未熟さに気づき
型を学び、修正し、正しい文章を発信することが目標です。
スラムダンクの白髪鬼こと、安西監督はこう名言を残しました。